我が広島翔洋高等学校は、大正14年に女子商業としては全国で5番目に設立されたという、名誉ある歴史を誇る『広島女子商業学校』を母胎として発展した学校です。当時の「教育の綱領」には建学の精神として「人格陶冶を第一義とする」と謳ってあります。
4万に及ぶ卒業生は立派にこれに応え、『広島女子商』の生徒と言えば、「堅実」、「誠実」、「律儀」、「活発」、「チャレンジ精神」と「確かな力」等々の言葉がすぐに浮かんでくるほどの校風を創り上げ、勉学に部活に、全国で広島に『広島女子商』ありと言われました。
平成20年に男女共学とし、普通科とビジネス科をもつ広島翔洋高校として新しく発足したときも、当然この建学の精神を受け継ぎ、「人間教育の精神を貫く」を第一番に掲げました。
4万に及ぶ卒業生は立派にこれに応え、『広島女子商』の生徒と言えば、「堅実」、「誠実」、「律儀」、「活発」、「チャレンジ精神」と「確かな力」等々の言葉がすぐに浮かんでくるほどの校風を創り上げ、勉学に部活に、全国で広島に『広島女子商』ありと言われました。
平成20年に男女共学とし、普通科とビジネス科をもつ広島翔洋高校として新しく発足したときも、当然この建学の精神を受け継ぎ、「人間教育の精神を貫く」を第一番に掲げました。
『翔洋』という校名は本校で『未来を拓くチカラ』をつけた白鳩が、大海の上で力一杯大きく羽ばたいて欲しい、という願いを込めてつけた校名です。
『未来を拓くチカラ』の根本は人間の持つ総合力に他なりません。その意味で本校は、人間教育の精神を大切にし、社会に貢献できる魅力的な人間を育てることをあくまで追求します。
また本校の校訓は『快活』です。何があろうが日々元気に明るく過ごすことは『未来を拓くチカラ』を獲得する基盤であり、『快活』には言動がきびきびしていて人に好感を与える様子という意味もあり、『快活』のみを校訓としました。幸せに生きようとするならば、高校生活、いや人生全般で最も大事な人間の振る舞いとは何か、を具体的に一語で表しているのが我が広島翔洋高校の校訓なのです。
本校は98年の伝統と校訓を踏まえながら、生徒一人ひとりの夢を応援し、『令和』の時代に大きく飛翔する人材を育成、輩出し続けて参ります。
地域の皆様、県民の皆様、全国で活躍しておられる同窓生の皆様、本校は学校の取り組みや魅力をこのホームページを通じて発信し続けます。今後とも、我が広島翔洋高等学校に多大なご支援を賜りますようお願い申し上げます。
「国際的教養と豊かな知識・技能を身に付け、未来を切り拓き、
進んで社会に貢献しようとする人材を育成する。」
進んで社会に貢献しようとする人材を育成する。」
校訓
校章の由来
広島翔洋の頭文字HとSを組み合わせました。
無限の広がり、伸びゆく力を表現。
基調となるカラーは、意志の強さ、活力を感じさせる「翔洋レッド」。
広島翔洋高校のコンセプトである「未来を拓くチカラ」をシンボル化したものです。
1、目標をもって主体的に学ぶ人間を育成する。
2、礼儀正しく、規律を重んじ、豊かな情操と
明朗な性格を持つ人間を育成する。
3、他者と協力し、地域や社会に貢献する人間を育成する。
1925年 大正14年 | 11月 | 広島女子商業学校を創立(11月6日) 笹野雄太郎理事長就任 |
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12月 | 弘瀬時治初代校長就任 | |
1930年 昭和5年 | 11月 | 小田四十一第2代校長就任 |
1943年 昭和18年 | 12月 | 笹野雄太郎理事長辞任 中井萬藏理事就任 |
1944年 昭和19年 | 6月 | 山内常雄第3代校長就任 |
1945年 昭和20年 | 8月 | 原爆に遭い、校舎壊滅(8月6日)山内常雄校長辞任(原爆死) 校長以下職員9名、生徒329名災没す |
11月 | 創立20周年記念式典をあげる | |
1946年 昭和21年 | 3月 | 梶山英二第4代校長就任 |
8月 | 原爆死した職員、生徒の慰霊塔を建立 | |
1947年 昭和22年 | 3月 | 学制改革により、新制広島女子商業学校に改組、設立を認可される |
10月 | 大内義直第5代校長就任 | |
1948年 昭和23年 | 5月 | 学制改革により広島女子商業高等学校全日制の設置を認可される |
6月 | 広島女子商業高等学校定時制の併設を認可される | |
1951年 昭和26年 | 3月 | 私学法の制定により財団法人を学校法人に改む |
1955年 昭和30年 | 6月 | 沼田実第7代校長就任 |
11月 | 創立30年記念式典を挙げる | |
1963年 昭和38年 | 6月 | 山岡正人第8代校長就任 |
1965年 昭和40年 | 3月 | 定時制高等学校最後の卒業生を送り、同制度を発止 |
11月 | 創立40周年式典をあげる | |
1966年 昭和41年 | 10月 | 広島女子商業学校を広島女子商中学校と改称 |
1969年 昭和44年 | 6月 | 宮川造六第9代校長就任 |
1971年 昭和46年 | 5月 | 中井清水理事長就任 |
1974年 昭和49年 | 11月 | 創立50周年記念式典をあげる |
1975年 昭和50年 | 4月 | 広島女子商中学校を休校する |
10月 | 加藤朗一第10代校長就任 | |
1982年 昭和57年 | 5月 | 冨永訓三第11代高校就任 |
1985年 昭和60年 | 9月 | 古川秀夫第12代校長就任 |
11月 | 創立60週年記念式典をあげる | |
1989年 平成元年 | 4月 | 南段原町から安芸郡坂町の新校舎へ全面移転 |
1990年 平成2年 | 10月 | 坪井守磨理事長就任 |
1991年 平成3年 | 5月 | 校訓を「誠実」と制定 |
1995年 平成7年 | 11月 | 創立70周年記念式典を挙げる |
1996年 平成8年 | 4月 | 鶴田秀雄第13代校長就任 |
2000年 平成12年 | 4月 | 校名を「広島安芸女子大学高等学校」に変更 |
2001年 平成13年 | 4月 | 米山幸夫第14代校長就任 |
2002年 平成14年 | 4月 | 校名を「立志舘広島高等学校」に変更 |
12月 | 進藤育明理事長就任 | |
2003年 平成15年 | 4月 | 渡部政治第15代校長就任 校訓を「快活」と改定 |
2004年 平成16年 | 4月 | 校名を「広島女子商学園高等学校」に変更 |
2005年 平成17年 | 11月 | 創立80周年記念式典を挙げる |
2008年 平成20年 | 4月 | 学校法人名「広島白鳩学園」に変更 高校名「広島翔洋高等学校」に変更し、男女共学へ |
2010年 平成22年 | 12月 | 新校歌を制定 |
2013年 平成25年 | 4月 | 松林博文第16代校長就任 |
2015年 平成27年 | 11月 | 創立90周年記念式典を挙げる |
2016年 平成28年 | 4月 | 普通科に特進コースを設置 |
2017年 平成29年 | 4月 | 松田敦幸第17代校長就任 |
2019年 平成31年 | 4月 | 門脇治隆第18代校長就任 |